インド旅×ゲストハウス 純度100%の鉄柱は錆びないそうです

このブログは、isが25歳で会社を辞めてからの歩き方を綴っていきます。

 

相変わらず、朝7:00に起床し、2時間デリー市内を散歩しながら、昨日までに覚えたヒンディー語を道行く人に伝えながら、語学の習得に励んでいます。徐々に使用するフレーズもパターン化し順調に学習はすすんでおります。

 

さて、本日はヒンディー語の学びから離れて、滞在しているゲストハウスでの日々の出会いから得た貴重な思いを綴っていきたいと思います。

 

純度100%の鉄柱IRON PILLARは錆びない

クワットゥル・イスラーム・マスジット付近には、3~4世紀に立てられて、今も尚錆びていない鉄柱があるそうです。理由は、鉄の純度が限りなく100%に近いからだそうです。実物の状態より、この話が面白いですね。

 

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 ※入場料が500Rsと高かったので、クトゥブ・ミナールを裏の道路脇からインド人と一緒に眺めた時に撮った写真ですが、逆光でこんな風になってしまいました。

 

ゲストハウスで勉強をしていると、1ヶ月前の生活では決して出会わないような人たちと、出会います。今回はその出会いの中で、私がカッコいいと思った印象を忘れないように残しておきます。(※自分のためのメモです※)

 

良いもの、本物を創ろうと人生を賭けて必死に生きている人たちの思いは、言葉以上に魅力的で聞いていて、自然と興奮しました。ただそれだけなんですが、そこの思いに不純物が混ざっていない輝きみたいなものが、半端じゃなくて、そこから湧き出るエネルギーや、それまで歩いてきた道のり、何といっても常に自分の生き方と戦っている思考が、話を聞いていてビシビシ伝わってくるんです。こういう方々を前にすると、日本に帰ったらやっぱり人の成長に本気で携わりたいと、心の底から思います。そして、そんな生き方もあるのだと知ってほしい。

 

好きなことをやることに間違いがないという言葉に重みがあって、そんな先輩方を見ていると、年を重ねることが楽しみになりました。ありがとうございます。

陰ながらPIPPISTARを応援しています。

生徒に、そんな影響を与えられるような大人になりたいです。がんばろう。

インド旅×ヒンディー語を学ぶ  伝えることだけ考えろ

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何でもいいから学びたい 

ただそれだけでインドでヒンディー語を指さし会話帳で学んでいます。

(理由が気になる方は、前回の記事をお読みいただければ幸いです)

 

インド旅2日目、早速フィールドワークを通して、ヒンディー語を鍛えようと、朝7時から2時間町中を歩いてみました。歩いているだけで、インド人のお金目当て?の方々が、「乗り物はどうだい?」「観光案内するよ~」と近寄ってくるわくるわ!10分歩けば、十分なマンツーマンレッスンができました。やはり街中を離れるとそんな人も少なくなって、早朝のインドの生活が垣間見えます。朝の散歩は、涼しいのとてもオススメです。

 

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さて、勉強は・・・

   まずは伝える力を磨かなければ歩けない

 

1週間程度は、基本単語の暗記と町中での会話を繰り返し、繰り返し、とにかく何かを伝えることができるような0→1の状態を目指しました。その中で、気が付いたことは、伝える力と聞く力、そして会話する力は全く別の段階であるということを実感しました。語学を上達させるうえで重要なことなのかもしれません。それ以上に、成長を実感するうえでも役立つことでは?と感じています。

 

今日はそんな気付きを私なりに解釈し、今後の成長図を描いていこうと思います。

 

  1. 発信力
    ジェスチャー・単語・短文・長文を含め、相手に自分の考えを発信する能力
  2. 受信力
    相手の考えを理解しようとする姿勢と理解するだけの能力
  3. 会話力
    1.2.を適切なタイミングで繰り返す能力

 

今日の、フィールドワークを通して、最初から3を目指す必要はないということがわかりました。まず、1という段階をある程度達成した後に、2を目指す方が自分の成長が実感できて私としてはモチベーションも上がります。自分の考えを発信する、発信して、発信して、発信しまくる。旅をする場合に、自分の意思を伝えることは、相手が言っていることを理解する以上に、早く身につけなければなりません。

 

例えば、買い物をするときに、「~ありますか」「値段はいくらですか」と自分の知りたい情報をまずは相手に伝えることから、買い物は始まります。自分の知りたい情報を端的に相手に伝えることができれば、簡単な会話であれば、相手の言葉は分からなくとも、相手のジェスチャーや行動、表情から返答がわかります。

 

その中でもちろん、相手は私が理解できない言葉を発することもよくありますが、しつこくしつこく伝えているうちに、相手もどうにか説明してくれます。ここは頑張りどころです。

 

特に、インドでは観光客を様々な形で店に連れて行こうとしたり、しつこく乗り物に乗るようにつきまとわれたり、怪しげな観光局に連れて行こうとします。このインド人の積極性が、発信力を鍛える良い課題です。私も朝の2時間で何度も遭遇しました。そのたびに「ナヒンチャーヒエ(要らないよ)」「~タクパェダルチャルナー(~まで歩きます)」と伝えるとよくわからない言葉を言いながら去って行ったり、笑顔で去って行きました。

 

もちろん相手の言葉を理解できる、会話ができる状態に達するためには、課題は山積みですが、まずは小さな目標をひとつひとつ達成していこうと思います。明日は、少し遠出するので電車に乗ります。とにかく自分の考えを、伝えて伝えて伝えまくります。

インド旅×ヒンディー語を学ぶ とにかく頭に浮かぶ常識を破壊したい

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会社を辞めてから1週間、本日インドに入国しました。目的はただひとつ、改めて真剣に学ぶことと向き合いたい、自分の中の何かを変えたいだけです。何か、新しいことを学べればいいのです。なぜ、インドなのか?ヒンドゥー語なのか?理由は1つ、この国のスケールが縮こまった考え方を大きく広げてくれるからです。

 

手短に説明しますと、今から5年ほど前に、初めて死にもの狂いで生きた1週間がこの国には詰まっているのです。人のやさしさも、恐ろしさも、自分への絶望も、記憶に刻まれた達成感も、この国が教えてくれたのです。初めての海外旅行、なんとなく選んだ国、今振り返ると、あの10日間フリープラン、勢いで旅行会社に行って話を聞くままに申し込んで始まった旅。

たった10日の経験がわたしのもつこれまでの世界観をぶち壊したのです。

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重度のホームシック、言葉の壁、詐欺、気絶、飢え、10日間でどん底まで落ちましたが、そのぎりぎりの状況下での、1人のインド人の仏のような人間の優しさに触れ、感動し、まんまとこの国に魅了されました。

 

死にもの狂いになれば、ひとはどこでも生きていけることを強烈に刻まれた1週間。今日から1か月という時間をこの国で過ごし、必死にヒンドゥー語と向き合い、学ぶという行為を思索しながら、もう一度必死に自分の限界をぶち壊す旅をしていきたいと思います。そして、ここでの学びを通して、大きく成長し、帰国後に新たな学び方を提案できればいいなと、今はぼんやり考えています。

 

学びを通して得る1つ1つの発見、出会い、失敗と成功が自分自身の可能性を拡大し、人生を少しだけ変えることになればなと。拝むように、祈っています。

フィリピン×出会い ちいさな女の子&「3年働けない若者はどの会社で働いても…」

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会社の最終出勤日の翌日、日本に居ては世間の目ならびに、少しなりとも心の片隅にある「3年働けない若者はどの会社で働いても…」という社会通念に押しつぶされてしまいそうなので、国外逃亡しました。

 

正直会社を辞めたら、気持ち辛いですよね。とても良い職場だったので…。無職、否が応でも自分の無力さを痛感して、自分には何ができるのか?自問自答です。その度に、2年間の重みを知ります。2年という短い間ですが、働く中で与えられたもの、得ていたものの大きさに気づかされる。毎日。

 

さあ、道に迷っても前を向いて歩いていこう

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会社を辞めた翌日から渡航し、早速到着後フィリピンで道に迷いました。無理して日が暮れて外出したところ、全く地図が役に立たず、途方にくれました。私の錆びついた英語は通じない、助けてくれようとするフィリピン人のジェスチャーも訳が分からず。てか、それパントマイムか!みたいな状況だった。

 

なんだか疲れてしまって、ホテルの花壇に腰を下ろそうとしたときに、前からちいさな女の子が怪訝そうにこちらを見ながら歩いてやってきた。目の前で足を止めた。

なんだよ

私が一言「バスターミナル」って呟くと、何やらついてこいと言っているようだ。

ん?

大人しく女の子の後をついていく。「これどういう展開なんだろう?」と思いながらも、ただついていく。女の子がいきなり大きな道路に向かって歩いていく。「おい、車走ってるぞ…」少し様子を見ていると、乗り物を止めた。相乗りタクシーみたいな、乗り物を止めて運転手と話をしている。そして振り向いた!

え?

これに乗れと、ジェスチャーで示しているようだ。これなのか?乗り込んだら、何故だか彼女は笑顔で手を振りながら見送ってくれている。おい、どこで降りるんだよ。と思いながら・・・

けれども、なんで、そこまでしてくれるんだ。本当にバスターミナルまで行ければ…めちゃくちゃいい子じゃないか。疑ってすまない、「君を信じるよ」。最後まで余裕を失ったままで、ありがとうも言わない、どうしようもない俺を許してくれ・・・本当にありがとな!名前ぐらい聞いておけばよかった。

 

人に心から感謝したのいつぶりかなって、考えながら、無事にバスターミナルに到着できた。忘れられない、ちいさな、けれど大きなものをくれた女の子との出会いだった。

 

さあ、道に迷っても前を向いて歩いていこう

どんな出会いがあるかなんて歩いてみなければわからないしな。

25歳で会社を辞めた僕が、会社を辞めてから知ったこと

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25歳で会社を辞めて新たな夢に向かって走り出すというありきたりな人生。会社を辞めるまでは、辞めたらようやく自由になれると勘違いをしておりました。辞めたらようやく自分の好きなことができると、意味ある人生の素晴らしき第一歩なんて、勘違いにもほどがある。情けない話です。

 

これは、完全なる勘違い野郎の思考でした。そもそも会社に属している1人の25歳の健全な人間であった、かつ周囲が信頼し仕事を任せてくれていた、そしてその仕事を誠実に全力で達成していたからこそ、私は定期的に収入を得ることができていたのだと、愚かながら辞めてから気が付きました。会社という組織があり、仕事を任せてくれるお客様・同僚・上司がいて、初めて私という1人の人間の能力の有無が問われるのだと…この順番、とても大切でした。

 

収入は、それを求めている人がいて、その仕事を任せてもらえて、そして最後に能力があり初めて成立するのでした。

 

今まさに私は無職なのです。

そこで私は考えました、夢に沿って(可能な限り)現実的な歩き方を。

私の夢は、これです。

 

「(なんでもいい)学びを通して、人が自己の可能性を拡大する環境の創造」

 

不明慮…批判はあるかもしれませんが、仕事を辞めて得た教訓をもとにどうすれば、夢をかたちにできるか考えました。

 

まずは、自分を試験体として「(なんでもいい)学びを通して、自己の可能性を拡大する環境」を探してみようと思います。そして、その気づきから得たことを、何らかの形で、社会が求めている範疇を少し超える程度に留めながら、創っていこうと思います。

 

1つの学び人生を変える

 

大声で叫べるようになりたいです。いや、なります。頑張ろうとおもいます。