26歳で1年無職のその後はどうなんだろうか。

このブログは、isが25歳で会社を辞めてからの歩き方を綴っていきます。

 

オヒサシブリニ、インドにイマス。

なますて。

あれから1年が経ちました。仕事を辞めて、旅をして、帰国して

ずーっと勉強して、振り出しのインドに戻りました。

場所は戻りましたが、身長は伸びたので成長はしてると思います。

さて

この記事は、1年間の経験をもとに、真面目に書いていこうと思います。

1年間無職を経験して、去年の僕を殴りたいことがいくつかありますが。

まずは

 

 

お前は少年〇ャンプの主人公ではない!!!

正直、時間が用意され、ある程度の貯金もあり、1年間必死にスキルを磨けば人生を変えられると思っていました、甘すぎた。あまりにも。僕は、1年の期間で自分を鍛え上げれば、これまで倒せないような相手に、ボコボコにされながらも、なんとか傷つきながらも、歯を食いしばって最後は倒せる。そう信じていました。人間はみなそうなるのだと!

ち、ちがった・・・

 

 

僕はそのようなキャラクターではなかったようです。というか、漫画でも、そうではないキャラクターもいるはずなのに。なぜか僕は、自分の設定を主人公にしていた。恥ずかしい失態。むしろ、1年前と同じくやられるキャラ設定にしておくべきでした。だって、相手も成長するから。世の中そんなに甘くない。

仕事を辞めること自体が、世間的には戦力DOWNですから、

無職1年などは、NG。

betterではなくaverage前提で考えた方がいいことは覚えておきます。

そして他には。

貯金も少なくなり、世間からは少し心配され、

このまま仕事見つからなかったらどうしようという不安・・・

 

んんんんー、その他には、何があるかと言うと・・・

ない!!

 

正直、1年振り返ると辛かったです、とても。

縁があってお仕事見つかりました。

ずーっと前から入りたかった、小さな会社ですが、入社が決まりました。

待遇面は前職とは変わらないけれど、それでもうれしい。

やりたいことに関われるから。

僕なりの1年間を評価してくれたようでした。

 

本当にありがたいです。

仕事を辞めた時は、夢だけを語っていましたが、それはそれで

1年前は良かったと思います。

きっとそのエネルギーがなければ、1年間の世間的な圧力で

心折れていた気がします。

 

けれど、インド人との戦いで身に付けた苦境を耐え忍ぶメンタリティは

(下記参照ください)

インド旅×ヒンディー語を学ぶ ストレスの絶頂(鉄道の自由席) - ispro’s blog

 

凡庸なキャラをそれなりに剣を振るう勇敢な一般市民に描いてくれたようです。

だいたいその後、このキャラは・・・ですね。

そして、1年間は周囲の人たちにありがたいほど助けられました。

ありがとうございます。

 

1年間、夢や希望だけでは本当にご飯食べられないこと知りまして

夢や希望を捨てて安定を求めた方がいいと考えた夜は1回か2回ありましたが

けれど、やっぱり一度きりの人生ならば

 

主人公になりたい

 

本気出したら、せめて必死にガンバったら、全てはうまくいかなくても1つはいいことある。そんなストーリーくらいならまだ信じられます。信じましょう。救われる

 

主人公になるのはまだまだ遠い先という設定にして、

(市民としてまずは税金をちゃんと納めます。当たり前ですね・・・)

設定は人が決めてんだから、こっちもこっちで決めればいいし。

そりゃあ、悪魔フルーツ食べたわけでも、覇王なになにもないし、狐がお腹にいたり、お父さんは死神でもないけれど、

おれだって、フィリピンで現地の人と草食べたし、結果青ざめておう吐したし、インドで毎日お腹から変な音がなったし、お父さんはメタボだよ!

 

それでも、1年間でやりたいことが少し仕事にできるようになった気がする。

少しだけど、ここからまた前に進む。

とりあえず、辛くなったら、

 

ワンピースの41巻読む。

 

来月から、仕事頑張る。

困った人を助けられるようになる。

頑張る。

 

おしまい

どんな状況でも、進むしかない。

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ブログ更新から4か月以上が過ぎました。久々に、この4か月の学びを忘れないように書き残しておきたいと思います。

 

進むしかないということ。

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どんなに行き詰っても、現状を打開するためには進むしかない。

とにかく決めたところまで進むしかない。

たどり着く方法はそれしかない。

 

と、つくづく感じさせられる毎日。

そんな日々を数か月過ごして、改めて進むことで少しだけ何か、変わった。

 

焦らず、止まらず今日も進む。あと数か月後どこに行けるのか。

成長について考えてみた。

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ブログ更新から4か月以上が過ぎました。久々に、この4か月の学びを忘れないように書き残しておきたいと思います。特に、成長について思うところがありました。

 

自分の物差しの目盛りを細かくすること。

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日々、成長は全く感じられない

必死に頑張っても、成長しているか実感がないことほどモチベーションが下がることはない。この点を学べたことは、自分の学びに対する姿勢を大きく変えました。

「努力が足りないのか?」

「集中力の問題?」
「自分には能力がないのか?」

先が不安で、そんな気持ちで過ごす1日は・・・く、苦しい。

 

それでも前に進みながら、ある時ふと思ったのです。

 

成長の測り方が間違っているのではないか?と。

 説明をすこしだけ。

身長110cmのある小学生の身長の測定を例に考えてみました。

 

この子は自分が周囲と比べて、背が低いことを気にして、身長がはやく伸びるように毎日牛乳を飲んでいるとします。

例えば、この子が1年で6cm伸びるとします。(下は1か月毎の身長測定の結果)

1月0.3㎝ ⇒ 2月0.2㎝ ⇒3月0.3㎝ ⇒4月1.2㎝ ⇒5月0.6㎝ ⇒6月0.4㎝

7月0.1㎝ ⇒ 8月0.4㎝ ⇒9月0.3㎝ ⇒10月0.5㎝ ⇒11月0.6㎝ ⇒12月1.1㎝

 

さて、ここでの問題は「どのような計測が、男の子の不安を取り除く効果的な方法か」ということです。この計測に関しては、①男の子が伸長は伸びたと捉える閾値、②客観的な計測値③計測頻度という3点から見ていきます。

 

①男の子は1㎝伸びた場合に成長を実感できる

②0.1㎝区切りまで計測できる計測器

③1か月に1回計測する 

もしこのような条件であれば、男の子は1月~3月まで成長を実感できないことになります。私の数か月はまさに同じ状況でした。

成長はとても緩やかで、それはそれはゆ~っくり、1日単位で考えると本当に進んでいるのかわからない。そこで焦りに焦り、やみくもにあれこれに手を出す。

けれど、もし正しく日々を過ごしていれば、1日0.01㎝は積み重なり1か月で0.3㎝は伸びるはずです。この0.01㎝を感じる閾値を養うことが毎日の行動の継続につながるのだと、メモして終わります。

 

人の成長に関わるときに、成長を測る目盛りは可能な限り細かなものを持っておきたいなと、ふと思った。

振出しにもどった

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久々のブログ更新。最近思うこと。

「このままでいいのか?無職のおれ」

よくこんなことが自然と頭に浮かんできます。その度に、こう思うわけです。

 

 

「絶対ダメだろ!考えるまでもない。明日も頑張ろ!」

 

 

という会話を、毎晩寝る前に頭の中で繰り返しながら、気が付いたらぐっすり寝てます。無職の状況、早くも2週間以上が過ぎ、毎日毎日地道に勉強しながら目標(1つの学び経験の提供を通じて、人の可能性を拡大するお手伝い)を達成するために、課題を解決していく日々です。結局、働いていても、働いていなくても将来の不安は消えませんが、仕事を辞めて1つ大きな変化がありました。

 

遠い将来に向けて、今この時間への執着が3倍は増した。こと。

(目標設定を明確にし、今やるべきことを逆算するようになりました)

 

何もしていない時間で、何か出来るようになる為に1日、1週間、1ヵ月単位で目標設定を明確にしています。すると、毎日仕事並みに疲れますが、生活のリズムが整います。同時に、目標と自分の立ち位置が客観的に計測できるので、生活にメリハリが生まれ、倦怠期がすくなくなり、積極的に課題に取り組めるんです。実はそれ以上に取り組まなければならない課題が多すぎることが実際ですが。とはいえ、少なくと以前とは異なり、1日たりとも消費するような意識で過ごすことはなくなりました。だらだらする暇が本当にもったいない。「なんとか、早くこの今という瞬間が過ぎ去ればいいな」と思うって時計を眺めることは一切なくなりました。

 

不安を払拭するには、結局目の前の課題を1つ1つ、忍耐強く解決しようと取り組むしかないのだと、毎日感じる日々なのです。祈っても、誰かに頼んでも、今の僕の状況は何も変わりません。お金だけが無くなるばかり。だからこそ、これまで以上に、1つの課題に毎日真剣に取り組んでいけるような気がします。

 

                                   それで、目標は達成できたのか?

 

残念ながら、失敗続きです。

現在の学力を測る為に受験した大学受験模試「第1回駿全国模試」は撃沈。

正直、もっとできると思っていましたが、全くできませんでした。

TOEICも目標の800点まで先は長い。

英検1級も、IELTSもまだまだ及ばない実力。

けれど、もうそれは事実として受け止めるしかない。

課題を洗い出して、明日から1つ1つ解決していく。

そんな地味な毎日です。

 

結局、力不足から一段一段上に上るためには、この瞬間全力で課題と対峙するしかないのだと思います。それが、何かに挑戦している証です。きっと。そして何よりも、やっぱり学ぶことで成長できる自分への期待が大きいです。

 

1か月のインド生活。ヒンディー語の学び

 

必死になって、

1日1日歯を食いしばって。

毎日、1時間2時間3時間の積み重ね。必死に過ごす今を積み重ねると

1ヶ月後にはちょっとだけ

あの経験に救われます。

 

明日は英語検定。そろそろ結果をださなければ、正直辛い。

何もないから、また1つ1つ目標の為に積み上げるそんな毎日。

そんな毎日だからか、不思議と将来を悲観することはずっと少ない。

今より明日成長できるそんな毎日です。

明日も頑張ろう。もっと必死に。もっと上を目指して。

 

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インド旅×ヒンディー語を学ぶ 振り返ると力をくれる3つの衝撃

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帰国後、あっという間に3週間が経過しました。

現在、無職。毎日勉強。

医療保険に年金に・・・、夢と希望だけでご飯は食べていけないという当たり前の現実と、日々正面衝突しながらコツコツ夢の実現の為に歩いています。そんな心許ない状況だからでしょうか、インドでの経験に本当に救われます。やっぱり、安定した収入が無いって辛いっす。気が沈みます、とても弱気になります。その度に、あの国での出来事が糧になります。いずれ夢がかなったとき、初心を思い出すように書き残しておきます。

 

1 電車が決まった時間に到着しないこと。

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インドの電車は本当によく遅延します。3時間遅れてようやく到着なんていうこともしばしばあります。それ以上に遅れることも・・・おかげで、計画していた観光が全く出来ずに1日が終わる。けれど、悪いことばかりじゃない。電車が遅れる回数が多かったから、こんなことを学びました。「物事は、思った通りにいかないけど、時間が経てば確実に前に進む。」焦る必要は、ないということです。焦って、間違った電車に乗ってしまったら、もっと大変でした。

 

 

2暑すぎて寝むれない、腹痛が治まらない夜のこと。

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インドの夏は夜も暑い。なので、クーラーのないゲストハウスは本当に暑いんです。めちゃくちゃ暑いです!全く寝れません。これは日常です。しかし、それだけではありません。たまに路上で買って食べたもの(私は硫黄っぽい匂いがしたフライドポテト)でお腹を下すことがあります。硫黄の匂いがしたなら、吐き出して捨てればいいって思いますよね。いやそれが、買ってすぐ食べたので、目の前に作ってくれたおじさんが居るんですよ。「うまい?」って聞かれたら・・・飲み込むしかないですよ。飲み込むことしか・・・できませんでした。ただでさえ、暑いのに、さらに腹痛。暑さ×腹痛×眠れない夜は辛すぎる。あの夜を思い出せば、苦しい時もふんばれる。

 

 

3「暑いね」ってインド人に言ったら、さらっと「今年も人が沢山死ぬ」って言ったこと。

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インドの人口は今や13億人に迫る勢い、経済成長を果たしています。経済特区に行けば、高層ビルが立ち並び、郊外の高級ショッピングモールに行けば涼しい環境で映画、食事、ブランド品。それとはまったく異なる生活が、街のあちこちにあるわけです。

私の手から、食べかけの物を奪い取る物乞いの子どもたち、今にも壊れそうなテントで生活している人。路上で横たわる人。この国の猛暑を越えられずに今年も既に130人以上が亡くなっている現実。3億人近い人が、死と直面している現在。

あるインド人に、この現状をどう思うかって聞いたら、「人が多いから仕方ない。」の一言。これがインドの今なんだって強く刻まれました。明らかに、私の今とは異なる世界。そして、何故かわからないけど・・・今の私は運が良かったって感じたんです。生まれる場所は、選択できない。生まれた場所が、運よく日本の一般家庭。サイコロを振ってどの目が出るかわからないのと同じで、出た目が良かった。今の私があるのは、努力とか、周囲の助けとか、社会制度とか以前に、運が良かっただけ。だから思いました。その運を得た人として、もっと必死にできることしないとって。もっと必死になれば変えられることがある。がんばろう、もっと必死に。インド人のハングリー精神で、この運を使い果すんだ。

 

 さあ、今から勉強だ。

インド旅×ヒンディー語を学ぶ 世界を変えられた1か月 byインド

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空気がうまい!帰国しました。

 

体調絶不調…39度の熱をだし、ようやくインドのことを反省する体力を回復しました。帰国日、最後まで気を引き締め、余裕をもって4時間前には空港に到着したにもかかわらず、なんと!搭乗予定の飛行機が3時間遅延。

 

お、おい!3時間遅延って!!!上海で乗り継ぎがあるんだよ!

俺の持ってるe-ticketの航程は、

上海で乗り継ぎに2時間しか空いてないんだぞ・・・

あんまりだ、3時間遅延したら次の日本行きの飛行機に間に合わない。

最後の最後まで、なんという仕打ちだ。この野郎!あんまりだ・・・

 

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っと、心の中でネガティブな私が叫ぶ一方で・・・

 

インドで生まれたもう一人の私

「まあ、鉄道も3,4時間遅れることはよくあった。日本にスムーズに帰国できなかったら、上海で観光でもしようかな。結局、最後は日本に戻ることになるのだろう。空港で足止めされたとしても、無料で涼しい環境で寝ることができるなら、問題ないな。むしろ、これまでの暑い寝苦しい夜を思うと、たかだか3,4時間など気にする必要もないか。」

 

っと、ばかに前向き。結局、

どう考えても結果は変わらないけれど、

どう考えるかで気持ちは変わる。

と不思議。世界は全く変わって見えた!

f:id:ispro:20160512115837j:plainインドで嫌というほど経験してきたこの感じが、脳みそに染み付いたようです。なんとかして、自分の気持ちを曲げに曲げて、起こったことを前向きに考えなければ先に進む気力すら湧いてこなかった環境が、私自身を前向きにしてくれた。1か月、辛いことは本当に多かった。

 

電車の遅れは日常化

ホテルの予約はなぜか取り消されていて深夜の街を途方に暮れて歩いたり

両替屋はお前の100ドルは古いと文句を言って正規レートとかけ離れたレートで両替

自分の列車の席には知らない子連れのおばさんが座ってるし

インド人の若者にはネパール人と馬鹿にされ

ホテルの部屋にはゴキブリと蛾が大量に発生するわ(安宿だからまあ仕方ない)

 

思い出したらきりがないけれど、それを承知でインドを選んで、ヒンディー語を勉強し、学ぶことに必死になった。一歩進むと決めたのは自分だし、どんな理由をつけても今の環境を前向きに捉えて、嫌な環境を変えて、もっともっと成長してやろうと必死だった。電車が遅れて出会えた少年、深夜の街を歩いて見えるインド人の夜の生活、両替屋で鍛えられた戦力、馬鹿にされて培った意地・・・振り返ると、とにかく必死だったような気がします。やっぱり仕事を辞めて自信を失っていたことが、そうさせた影響は大きかったんだと思う。

0から始めたヒンディー語を学ぶ過程で、試行錯誤しながら確かに1日1日できることが増えていった。失敗はたくさんあったけど、それ以上に成長があった。

成長以上に、優しく尊敬できるたーくさんの人との出会いに溢れていた!

ヒンディー語だけで移動ができるようになり、ご飯が食べられるようになり、自己紹介ができるようになり、宿泊先を見つけることができるようになり、自分の気持ちを伝えることができるようになった。そして、ヒンディー語を使って、簡単な日本語を教えられるようになった。正直明日からインドに住むことになっても、言葉に不安はない!言葉ができなければ、悔しい思いを糧にして、もっと勉強してすぐに喋れるようになれる。それでもできなければ、沢山の人の力をすこしづつ貸してもらえばいい!多くのことは、そんな風にして、前に進んでいくのかもしれないな。すこしづつ。

 

もし明日、「今できないけれど」、やりたいことが見つかれば絶対にこうする。

「できるようになるにはどうすればいいか考える。」

だって、インドに来てからそう考えるようになったから、できることが1つ2つと増えた。それが、この1か月。1か月前には想像できなかったほどまで、今自分が見ている世界が変わった。これも確か。だから、何がしたいかと考えて、それに向かって歩き出す。最初は間違いなく辛いけれど。最後には、どうにかなるもんだ!

 

という結論かな。近々、1か月の学び方の反省と今後の学びの目標をアップします。

 

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帰国まで・・・

前に並んでいる中国人の方と、日本の漫画の話をしながら日中交流を深め、その後、中国東方航空のカウンターでは受付のお姉さんとヒンディー語でお話しし、何やらお姉さんめちゃくちゃ喜んでくれて、とてもいい雰囲気でインドを後にした。

乗り継ぎは、上海の空港で別の飛行機の席を手配してもらって20:30には日本に無事に到着できました。やっぱり、どうにかなるもんだ!上海の空港で、慣れない様子で必死に飛行機の手配をしてくれた新人のお姉さん、本当にありがとう。次は中国語勉強しようかな。インドにはまた来るんだろうな。必ずね!ピルミレーンゲ!

インド旅×ヒンディー語を学ぶ 映画館での出来事

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インドの映画、ボリウッド。遂に見ました。

今回見た作品は「FAN」です。

(記事は書いていたのですが、アップが遅れてしまいました。)

 

映画館の窓口で、「FAN」という映画のチケットを下さい。っと、慣れてきたヒンディー語で伝えたところ、受付のお姉さん「えっ?ヒンディー語しゃべれるの?」と驚いた表情・・・調子に乗ってすかさず「ヒンディー語勉強しているからね」と伝えると。お姉さんのスイッチがオンになり、笑顔のまま遠慮なしに高速でヒンディー語を喋る喋る。結局僕は何も分からず、撃沈。その後はゆっくり、丁寧に喋ってくれました

 

 さて、映画館と映画の内容です。映画館は高級モールの映画館だったので、日本の映画館に劣らずとても綺麗で、快適でした。椅子も座り心地がよく、リクライニングシートです。リクライニングの範囲が広く、映画の内容がわからなかった為、寝ちゃいそうでした。

 また、映画館で経験する文化の違いがまた面白い!映画上映中に、トイレ休憩があったり、食べ物のデリバリー担当が客など構わず、上映中に突然前を横切る、インド人のリアクションが大きい、文化が違うとはまさに!という感じでした。

 

  肝心の映画の内容ですが、すべてヒンディー語で私が理解できた単語は「わたし」「あなた」くらいのものです。その為、登場人物が何を言っているのかはわかりませんでした。全く。

 

何はともあれ、挑戦しなければはじまらない!この気持ちの強さは失わずに前向きに、引き続き勉強に励みます。映画が長く、途中から分からないの度が過ぎて、それでも理解しよう理解しようと頑張ってたら体調が悪くなりました。分からないってつらーい。

 

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真面目に映画の内容について書きます。

 

●映画の内容(推測)

「1人の青年(映画の俳優ファン)の生き方を描いた物語です。ある田舎町の青年は幼い頃より、映画俳優の熱狂的なファンでした。彼の人生の中心はまさに、その映画俳優です。しかし、ある事件をきっかけに、彼のその思いが徐々に曲がった方向に進んでいきます。その曲がった思いが、周囲を傷つけ始めるのです。そして、その純粋な憧れが、徐々に憎しみへと変化していくのですが・・・この作品は、ファンとしての1人の青年の生き方が、壊れていく有様を描いています。」

言葉がわからないため、要所要所のセリフが全く分からないのですが、全体のストーリーは上記のような話だと思います。たぶん。言葉がわからない分、想像が膨らみます。それはそれで、見終わった後、普段以上に考えさせられます。

 

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※映画館が入っているデリー郊外の高級モールです。日本の大型ショッピングモールと衛生環境、施設とも全く変わりません。とてもいい心地でした。